投稿日: 2025.07.31
スピリチュアルアルケミスト 小西未珈
目次
見えない世界を感じる力
「霊感・霊視に興味はあるけど、霊が視えると怖い」・・・そんな恐れや不安を抱えている方は少なくありません。
けれど、霊感や霊視とは、本来“恐れるもの”ではなく、目に見えない世界の波を感じ取る霊的な知覚のことなのです。
幼い頃から、目には見えない存在を見たり、声を感じ取ったりすることがありました。当初は、それが何なのか、なぜ自分に視えるのかが分からず、不安や恐れを感じていました。
けれど、学びと経験を重ねるうちに、次第にその存在たちとの関わり方を理解し、“視えないもの”に対する正しい対応の仕方を身につけていくことができました。
ここでは、霊感・霊視の基本、そしてそれを安全に育てる方法を、“ナチュラルシャーマン”の視点からお話しします。

霊感・霊視の本質とは:見えない世界を知覚するある感覚
ここでお伝えする内容は、あくまでも私自身の体験と探究から導き出した一つの考え方です。
科学的に完全に証明されたものではありませんが、長年の観察と実践を通じて、私はこの理解にたどり着きました。
霊を「見る」と一言で言っても、その見え方は人によって異なります。
それは、個々によりどの知覚を使っているかによって体験の質が変わるからです。
なぜなら、霊を認識するという行為は、単に外界の像を捉えるということだけではなく、自分の記憶・感情・象徴体系を通して“理解している”現象だからです。
霊を視るということは、個々に持つ様々な情報と照合しながら、自分なりのイメージや形として“再構成している”状態でもあります。
そのため、同じ存在を見ても、人によって姿や雰囲気、距離感が異なって感じられることがあるのです。
これは錯覚ではなく、霊的知覚が「個人の意識フィルター」を通して働く自然な現象だからです。

肉眼で見るということ
肉眼で霊を見る場合、私たちは物理的な視覚器官(目)と脳の知覚領域を使っています。
ただし、それは物質的な光を捉えているわけではなく、
高周波のエネルギー波や残像的な情報を、脳が“光として再現”している状態なのかもしれません。
興味深いのは、「霊が視えるようになるきっかけ」が人によって大きく異なることです。
生まれつき視える人もいれば、事故の後や臨死体験を経て突然視えるようになった人、
あるいはある日を境に自然に視えるようになった人もいます。
こうした違いは、脳の機能とサイキック能力(霊的知覚のスイッチ)が
どのように結びついているかによって説明できるのかもしれません。
事故やショックなどの極限的な体験を通して、
脳の特定の領域が活性化し、通常の知覚範囲を超えた情報を受け取るようになる可能性もあります。
また、突然視えるようになった人の中には、
魂の計画や霊的成長のタイミングに合わせて、内的覚醒が起こったケースもあります。
それは偶然ではなく、魂があらかじめ選んでいた“霊的な開花の契機”なのです。
霊的現象が肉眼に映るとき、
私たちは高感度カメラのように、通常の視覚を超えた異なる周波数の光を感知している可能性があります。
つまり、霊を見るという現象は、
物理と非物理、脳と魂、科学と霊性が交差する瞬間に起こっていると言えるのではないでしょうか。

第三の目で視るということ
第三の目(サードアイ)とは、肉体の目ではなく、意識の奥にある「霊的視覚領域」を通して情報を受け取る感覚のことです。
ここでは便宜上、“霊的視覚中枢”という言葉を、松果体や前頭葉を中心とした霊的知覚の働きを指す意味で用いています。
私たちが目を閉じても光や映像、象徴的なビジョンを見るとき、それは単なる空想ではなく、意識がエネルギー情報を翻訳しているプロセスとも言えるのです。
この第三の目の感覚は、古くから「松果体」と深く関係していると言われています。
松果体は脳の中心にあり、光を感知する働きを持ち、霊的感覚や直感に関わる重要な器官です。
しかし、それだけではなく、前頭葉などの空想活動とも密接に関係していると私は感じています。
なぜなら、第三の目の位置は“おでこの上あたり”でちょうど前頭葉の裏側にあり、人がイメージを思い描いたり、空想や創造を行うときに活性化する領域だからです。
つまり、第三の目で“視る”ということは、松果体によって受信した霊的情報を、前頭葉などが映像として再構築するプロセスだと考えられます。この二つが連動することで、私たちは内的スクリーンにビジョンを“見る”ことができるのでは・・と考えています。
こうして受け取られた情報は、意識のスクリーンに光・色・形・象徴などとして映し出されることで、霊として認識されるのではと思っています。

象徴としてのビジョン
第三の目で視るときに受け取る情報は、そのままの姿で見えているわけではなく、意識が象徴やイメージとして再構築しているものです。
そのため、受け取った情報を元にイメージを創り上げる過程で、多少異なった姿や形として現れることがあります。
これは、イメージが記憶や感情、過去の体験と結びつく性質を持つためです。
たとえば少し例えが違うかもしれませんが、犬の鳴き声は、日本では「わんわん」、海外では「バウバウ」や「ウーフウーフ」と表現されます。同じ音を聞いているのに、言語や文化の違いによって“聞こえ方”が変わるのです。
それと同じように、霊的なイメージも、私たちの経験・知識・文化的背景によって翻訳されるため、見える姿や印象が少しずつ異なることがあります。
つまり、ビジョンは客観的な映像というより、霊的情報を自分の意識が理解できる形で表現した象徴なのです。
第三の目による霊的知覚は、単なる映像体験ではなく、さまざまな“エネルギーの層”を感じ取るための感覚でもあります。では、そのエネルギー、すなわち“オーラ”や“霊”とは、どのような存在なのでしょうか。
次に、それらの次元と関係性について見ていきましょう。

オーラと霊は同じ次元にある
第三の目によって感じ取れるエネルギーの中で、多くの人が最初に気づくのが「オーラ」や「霊的存在」の気配です。
これらは別々のもののように思われがちですが、実際には同じ次元(アストラル層)=4次元の光の領域に存在しています。
私の感覚では、この4次元は「肉体と高次意識の中間層」であり、人の感情や想念、記憶がもっとも強く反映される場所です。
つまりここは、感情意識の高い側面(愛・理解・喜びなど)と、未解消の思いや痛み(恐れ・執着・悲しみなど)が共に存在しています。
霊もまた、この感情や想念と同じ性質のエネルギーで構成されています。そのため、霊が知覚される層と、肉眼で見えるオーラの層は同じ層であり、一般的に視えるオーラもこの感情エネルギーのアストラル層(4次元)が中心であることが多いのです。
オーラとは、感情と意識が放つ光
オーラとは、すべての存在が放っている生命エネルギーの光の波です。
心の状態や身体の調子、思考、そして魂の成熟度までもが、色や輝きとなって現れます。
喜び・不安・愛・緊張・恐れなど、そうした感情の波が、光や色の変化として映し出されていくのです。
つまり、オーラはあなたの“今の心の状態”をそのまま映す光なのです。
穏やかで安定している人のオーラは、柔らかく明るく澄んだ光を放ちます。一方、怒りや不安が強いときは、色が濁ったり、光が揺らいで見えることもあります。
このように、オーラの色(オーラカラー)は、その人の感情や意識の状態を反映しているため、「オーラカラー診断」などで見られる色も、この4次元=アストラル層が影響しているのです。
オーラを視るということは、他者や自分の4次元的な感情エネルギーの波を感じ取るということでもあるのです。

オーラと霊が“重なって視える”理由
霊とオーラは、どちらも4次元=アストラル層に属していますが、本質的には異なるエネルギー体です。
オーラは、その人自身の生命エネルギーであり、肉体を包むエネルギー層のほかに、感情・精神・霊性などの高次のオーラ領域も存在します。
一方、で霊は、肉体を離れたあと、魂と共に光へ還ることができずに残ったエネルギー層です。
つまり、肉体を離れても感情や想念が強く残り、4次元の中に留まっている状態です。
霊とオーラは、同じ層(4次元)にあり、しかも性質が近いエネルギーであるため、お互いに影響を与え合うことがあります。
その結果、霊がオーラの一部に重なって視えたり、オーラの外側に“くっつくように”感じられたりするのです。
特に、強い感情(怒り・悲しみ・執着など)を持つ霊は、その人の感情波動と共鳴しやすく、波動的な“同調”によってオーラの色や質を一時的に変化させることもあります。
詳しく知りたい方へ:
オーラの構造や色の意味、チャクラとの関係性については
こちらの記事で詳しく解説しています。
オーラとは? 色とチャクラで解く意識の秘密(リンク)

チャネリングの領域と霊の領域は違う
「霊が視える領域」と「高次の存在とつながる領域」は、似ているようでいて、まったく異なります。
霊感・霊視が主に働くのは、4次元=アストラル層。ここは感情や想念の層であり、人の想い・記憶・感情・思考が形を取る領域です。
一方、チャネリングは、5次元以上の高次意識層を対象としていることが多いです。つまり、高次精神・霊性・魂の領域以上を指しています。
どちらも“見えない世界”に属していますが、扱う次元とエネルギーの純度が異なります。
そのため、霊感霊視の感覚だけで高次存在のメッセージや情報を受け取ろうとすると、アストラル層の想念や未成仏の霊の波に影響を受けてしまうこともあるのです。
霊的な領域を安全に扱うためには、チャネリングのように波動を高め、周波数を選べる意識の訓練が欠かせないのです。

霊を正しく理解するということ
霊感・霊視という言葉を聞くと、怖い、特別な人にしかできない・・・。そんな印象を持つ人も多いかもしれません。
しかし本来、霊的な存在は“恐れる対象”ではなく、理解し、導く対象なのです。
霊とは、悪いものでも恐ろしいものでもなく、多くの場合「未完了の感情」や「行き場を失った意識エネルギー」です。
それは“誰かの悲しみ”“誰かの愛しさ”“誰かの想いの余韻”として残っているだけ。もちろん例外もいますが・・・。
彼らは、決して人を害そうとしているわけではなく、ただ気づいてほしい、還りたい、安らぎたいと願っているのです。
ですから、本当の「浄霊」とは、祓うことではなく、その存在に光を見せて、還る道を照らすことなのです。
本来のシャーマンが行う癒しは、まさにこの“導き”の役割にあたります。

霊を正しく知ることは、シャーマンへの道
シャーマンとして大切なことは、“霊とは何かを理解し、その存在を癒す”ことにあります。
霊を排除するのではなく、その存在を理解し、光を届けていくことで、霊と魂の両方をひとつに統合していくことができます。
それこそが、本来のシャーマンに与えられた「魂と霊の両方を癒す力」なのです。
そしてその意味を深く知るとき、あなたの内側で“シャーマンとしての使命”が静かに目覚めていきます。
それは偶然ではなく、この地球が、いまあなたの光を必要としているからです。
霊と魂を癒し、光へ導く・・・それが現代のシャーマンの役割です。
霊と魂の関係、浄霊・鎮魂の正しい知識、そしてシャーマンの神聖な光による導きの技法について知ることができます。